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過ぎたるは猶及ばざるが如し

ようやく、捻挫の痛みを忘れる日が
多くなってきたと思ったら、
今度はふくらはぎを痛めてしまった。
軽い肉離れだろう。

ふくらはぎは、腓腹筋という筋肉によって
ふくらんでいる。
腓腹筋は、鳥のささみを二つ並べるように
膝裏から配置されており
よく鍛えられた腓腹筋は、
外からみてもそのシルエットを
窺い知ることができる。
過ぎたるは猶及ばざるが如し_e0113768_21303542.jpg
ちなみに私の脚ではありません。

そのささみのような滑らかな筋繊維に
き裂が入るのが肉離れだ。

今にして思えば思い当たる節がある。
よくよく振り返れば、
捻挫をした足首をかばったことで
腓腹筋に余計な力が入って負荷がかかり
少なくはないダメージを
与えていたのかもしれない。

思い当たる節があるとか、
かもしれないなどと、
当事者なのにまるで他人事のように言うのは、
追及を受ける国会議員の答弁みたいだが、
・・・かもしれない
というその時は気づかない
小さな要因の積み重ねが
大きな痛手の引き金になっていくのは
世の摂理なのであろう。

ふくらはぎは「第2の心臓」と言われている。
足に流れた血流を心臓へ戻す為
ふくらはぎの筋肉がポンプになって
血液を押し上げているそうだ。

「体のサスペンション」とも言われている。
ランニングにおいて足が着地する際
地面には傾きがある。
その傾きによる足首の捻りを
伸びたり、縮んだりしながら吸収する。
着地時の地面からの衝撃を
受け止めるのもふくらはぎだ。

そう考えると、やることが多すぎる気がする。
常にマルチタスクを求められるだけに
万全でなければ、
いつも破綻と背中合わせなのかもしれない。

けれどというか、だからというべきか、
ふくらはぎは、取り繕うことが上手な筋肉だ。
痛めてもちょっと休めば、軽いジョッグなら
すぐできるようになる。

しかし、それは表面的にふさがっている
クレバスのようなもので、
実は奥に行くと、き裂の修復が
不十分であることが多い。

表面的に取り繕っているだけだと
薄々分かっていながらも、
自分が安心したいという
甘美な果実を欲するばかりに
ハードワークをいれてしまう。

だからすぐに、また裂けて離れてしまう。
そんなことをもう
3週間も繰り返している。

離れてなんていないと
勝手に思い込んでいても
強い刺激を与えると
すぐに離れてしまうのは
まるで、親離れ子離れできない親子のようだ。
(なにかあったのか)

とにかく、回復過程の過渡期において
焦ってやり過ぎたり、言い過ぎたりするのは
逆に修復を遅らせる。
(言い過ぎたのか・・・)

互いに自立すべきなのだ。
修復を焦ってはいけない。
信じて待つことだ。
強く言わなくたって
ちゃんと・・自ら・・・成長するはずだ。
(泣いてんのか)

出過ぎた杭は打たれる。
出し過ぎたシャー芯は折れる。
干渉が過ぎれば、余計に遠ざかる。
(良かれと思うのは親のエゴだ)

過ぎたるは猶及ばざるが如し。
肉離れは軽いが、子離れは軽くない。

# by naisen-k | 2024-02-08 18:44 | Comments(2)

運動脳

最近また、いい話を
聞かせてくれる(読ませてくれる)本に出会った。
アンデッシュハンセン著「運動脳」。

運動脳_e0113768_09121534.jpg
有酸素運動をすれば、
記憶力・論理力、集中力、判断力、処理能力
そしてストレス耐性も向上するという。

運動する事で、脳にいい影響を与えるという
エビデンスが出てきて嬉しい。
(エビデンス使いたかっただけやろ)

こういう化学的な立証が出てくると
走る気力も当然、湧いてくる。

特に今日、『脂っこい会議がある。』
・・・となると進んで
走りに行きたくなる。

走っておくだけで、脳が冴えわたり
鬼に金棒とまではいかなくても、
指揮者にタクトというぐらい
会議をコントロールできそうに
思えてくる。

しかし、現実の会議は、たいてい
言いくるめられて(論理力欠如)、
問題点を修正されて(処理能力欠如)、
何回言わせればいいんですか。(記憶力欠如)
と呆れられる。

あれ?本で読んでることと違うぞ。
当然ながら、本にも
飛躍的にとは書いていない。
そんな、うまい話がないのは
人生と同じだ。

でも、それだけ言われると普通は、
『じゃあ、あなたがやってくださいよ!』と
匙を投げるようなことでも、
私は今の所、耐えられている。
ストレス耐性が尋常ではないという事だけは
間違いない。

ストレスがかかると
人はどぎまぎして心拍が上がり、呼吸も浅くなる。
ウォータースライダーを滑り落ちるように
パフォーマンスが下がっていく。
なにをやっても裏目にでるし、
ひどい時は
なにをやってるかも分からなくなる。
(かわいそうに)

しかし、ランニングを習慣化していると
一体何が起きるのか。

ランニングを行うと、
当然のように心拍があがり、
呼吸も矢継ぎ早になる。

ここまでは同じだが、
ストレス状態の時と違うのは、
ランニングは走り終えた後に
やりきった達成感と
心地よい汗をかいた爽快感が待っている。
成功報酬ドーパミンが放出されるからだ。

つまりランニングを習慣化していると
脳は、ストレス状態で心拍が上がった時も
ランニングでの経験から、この後
達成感と爽快感が待っているぞ!と
違う話しをもちだして、大丈夫大丈夫と
鼓舞してくれるというのだ。
だからストレス耐性に強くなるのだという。

私が会議で完膚なきまでに論破されても
気持ちよさそうにしているのは
ランニングをしているせいだ。
けっして、自暴自棄になっているわけではない。

記憶力もUPするらしい。

脳の部位で記憶力をつかさどる重要な場所が
海馬だそうだ。海馬は老化によって
年に2パーセント程度萎縮していくらしい。
歳をとると、記憶力が低下するのは
そのためだといわれている。

ランニングなどの有酸素運動を
習慣化している人は(諸手で挙手)
海馬の萎縮を抑えるどころか
むしろ2パーセントほど
成長したという科学的データもある。

しかし限度ってものがあって
疲労を覚えるほどのハードワークを
する人は、脳の血流が筋肉の方に回さざる
を得なくなるため
かえって逆効果になるという。

なるほど、誰も笑ってないのに
何度も同じことを言うのは
ハードワークのせいか。
(それはオッサンのヘキだ)

とにかく海馬は頑張っているんだ。
目元よ!たるんでいる場合じゃないぞ!
(最近気になっている)

この本の著者アンデッシュハンセンは
最後にこう締めくくっている。

脳の最も大切な仕事は生物を
生存のために移動させることだと。

私たちの祖先は、狩猟をして生きていた。
狩りに出ると(運動をすると)
狩りが成功するよう集中力があがり
絶えず住みやすそうな住居を探すためには
新しい場所や環境を覚える記憶力が必要だった。
命の危険(ストレス)を回避するために、
判断力が養われ
狩りから帰ってくると疲れていても
また生きるために狩りにでるよう
成功報酬としてドーパミンが放出され
気分が爽快になった。

つまり狩りの成功の確率を上げるために
身体を動かせば、脳が発達する
メカニズムを人類は進化の中で
身に着けてきたのだという。

工業化が発展した我々の生きる近代史は
人類の歴史を1日という時間軸で考えると
たった1秒というほんの一瞬にすぎない。

そう考えると、
人類の歴史のほとんどをかけて構築された
狩りのためのシステムは、
今をもって生きているということだ。

我々の先祖も今の私も生物学的には
ほとんど変わっていない。
変わったのは、私たちを取り巻く環境だけ。
私たちの身体と脳は狩人のままなのだ。

生き上手になるすべとして
ランニングは最高のルーティンワークだ。
さあ、今日も走りに行こう。

今日のメニューは砂浜で1kを6本。
生徒たちと一緒に快調に走っていたが、
無理をして2本目でふくらはぎを痛め
立ち止まる。
運動脳_e0113768_07145964.jpg
我々の先祖の時代なら獲物が捕れず
手ぶらで家路についたことだろう。
そして、家族に『何してんの?』と
呆れられていたであろう。

結局、どの時代に生きていようが
呆れられる運命にあることは諦めよう。

※個人の感想です。効果には個人差があります。

# by naisen-k | 2024-01-29 07:17 | 読書 | Comments(0)

私の体は函館山でできている

2024年に入っても、
捻挫の影響を引きづっている。
足首をかばって走っているせいで
ふくらはぎが軽い肉離れを起こして
なかなかハードワークができない。

走ることで追い込めなくなってからというもの
函館山登山は重要なトレーニングの一つだ。

今、トレーニングといったが、
函館山登山に関してはアクティビティと
言った方があっているかもしれない。

とにかく楽しみの方が大きいので
最近は函館山を見るだけで
カーっと熱くなってしまう。
私はきっと函館山フェチだ。

函館山の別名は『臥牛山』という。
牛が寝そべるような外観から
そう呼ばれているそうだが、
私には、『眠れるヴィーナス』にしか
見えない。
私の体は函館山でできている_e0113768_09522424.jpg
横たわるヴィーナス

標高は334m。
函館のシンボルであり、
函館市民であれば
山を見て時の経過、季節の移ろいを感じながら
ちょっと先の未来の天気まで言い当てる。

函館の街から、函館山が見えなくなると
雨や雪がその数分後には降ってくる。
函館山が隠れると街を行く人は
みんな足早になる。

1月の中旬は1年でもっとも
日の短い時期だから、
陽が沈むのは、西南西の方角だ。

職場の窓からは
ちょうどその方角に
函館山の山頂が見える。

夕日が沈む函館山は
石原裕次郎でなくても
ブラインドを下げて見たくなる
癒しの夕景だ。
私の体は函館山でできている_e0113768_10430853.jpg
世界三大ブラインド夕景

今年に入って既に
5回、函館山へ入山をしている。
1回目は元旦である。

今まで、元旦に函館山に上って
初日の出のご来光を
見にいっている人がいることは知っていたが、
私は「元旦からようやるなあ」
と紅白を見ながら、明日の初日の出は
大森浜(津軽海峡側に面した砂浜)でええかな
と思っている一人だった。

元旦の函館山は
都会の初詣列車のように、早朝から
ロープウェイが動いているわけではない。
冬期間は道路も閉鎖しているので
山頂でご来光を仰ぎたければ
自分の足で上るしかない。

自分の足で上ってご来光を仰ぐ。

今まで、どうしてこんなに
魅力的な話しに足が向かなかったんだろう。

1月1日朝、6時。
誘ってくれた陸上部のOBたちと、末っ子を連れて
函館山の旧登山道を登る。

最初真っ暗だった登山道は
合目を重ねるごとに、明るくなっていく。

明るくなると急かされているようで
日の出時間を調べてきたといえ焦ってくる。
そして、ついに山頂からの元旦のご来光を
この目でしかと見た。

荘厳。新春の陽光が
山頂から麓へ駆け降り、そして街へと広がっていく。
なるほど、山頂が光に包まれてから
ややしばらくして眼下の大森浜が
陽光に照らし出された。

元旦の初日の出を、最初に仰ぐことが
できるのは、よく考えたら
当たり前の話だが、ここ函館山の頂なのだ。
私の体は函館山でできている_e0113768_10535360.jpg
山頂に新春の陽光さす

1月18日は、函館山裏に釣りに出掛けた。
今の狙いはサクラマスだ。

春から夏にかけても
サクラマスを狙いにこの山裏を
訪れているが、冬は木々の葉が
落ちて見通しがきくので
とても歩きやすい。うっそうとした
草木が行く手を阻むといったこともない。

この日の釣果はアブラコ(アイナメ)が1本。

私の体は函館山でできている_e0113768_10163321.jpg
函館山と私の関係性において
最も密接なのは函館山の養分で育った
海の幸だ。

釣った魚はさばいて食べる。
食べきれないほどの魚は釣らない。
(6人家族なので、食べきれない程の魚が
 釣れるようなことは、ほとんどないが)

その魚の豊富なたんぱく質と
鉄分、ミネラル(肝臓や心臓も食べるので)は
函館山登山やトレーニングで破壊された
筋肉や血液の材料となる。

つまり私の体は函館山でできている。

人はエゴイスティックな生き物だ。
どんな理由をつけようが
魚の引きを楽しみたいという気持ちや
美味しい魚を手にしたいという気持ちを
エゴでしょ?と言われて反論することは
できない。

しかし、そうまでして
自分が殺生した生き物だからこそ
責任をもって食べる。
海からいただいた命を粗末にしない。

これほど身近な、函館市民に愛されている山。
いろんな人がこの山を様々な形で楽しんでいて
まだまだ語り尽くせない魅力がある。

函館山には何度のぼっても飽きない
新しい発見がある。

# by naisen-k | 2024-01-21 13:46 | 函館山 | Comments(0)

Simple is ...

ランニングというのは、ひいき目にみても
他のスポーツに比べると
シンプルなスポーツだ。

身体一つでシューズとウェアが
あればどこでもできる。
たった今からでも走ることができる。

フォームの美しいランナーを見ると
無駄が徹底的に削ぎ落された
研ぎ澄まされた機能美を感じる。

それゆえか、そのシンプルさが、
とてもスマートに見える。
Simple is smart!

例えば、私たちは誰かに
「シンプルなコーディネイトで素敵よねえ」
といわれたら余程ひねくれた人以外は
悪い気はしない。

しかしsimpleをGoogle翻訳で訳すと
なんと「単純」である。

「単純な、いで立ちでよろしおますなあ」
と言われたら余程鈍感な人以外は
馬鹿にしてんのかと思う。

ランニングというのはまさに
シンプルであり、単純である。

時に、美しい風景に出会い
少々ペースを上げても
思うように足が回って、
身体が進んでいる時なんかは
なんてクールな時間を過ごしているんだと
思うこともある。

そう、ただ走るというシンプルな
動作だけなのに。
Simple is so cool!

でも時としてそのただ走っているだけの
ことが、単純でマンネリだとしか
感じれないときもある。

昨日、simple is so cool!な時間を
過ごすことができたのに
今日は、身体が重く
ペースを上げることが億劫で
単純な作業をこなしているだけ
なんてことはよくあることだ。

日によって、ランニングにおける
シンプルと単純はせめぎあっている。

ちょっと話は変わるが
単純で面白味のない作業の代表格として
洗濯たたみがある。

洗濯ものを干してある脱衣所から
もってきて、家族のために
より分け、そしてたたむ。

ただ洗濯たたみは
必要に迫られているからやるだけで、
やらなくていいよと言われたら
当然やらない。

ランニングは、やらなくてもいいよと
いわれたってやる。

洗濯物は、頼まれたらやらなければ、
家族のみんなに怒られるけど
ランニングはやらなくても怒られない。

むしろ、子供たちからは
「なんで、今から走りに行くの!
 キャッチボールしよう言うたやん」
とやって怒られることもある。

やって怒られることもあるランニングに
どうして私たちは
シンプルの時も、単純の時も
悲しい時も、うれしい時も
雨の時も、日照りの時も
ランニングを愛することを誓いますか?
という問いに
「誓います」といってしまうのか。

それは、きっと変化だ。
身体の変化。
心の変化。
風景の変化。
人のつながりの変化。
ランニングは、積み重ねによる変化を
きちんと感じることにおいて
ベストなスポーツである。
Simple is best!

1か月も続ければ
徐々に変化していく
自分が浮き彫りになってくる。

人は今しか生きられない。
今この瞬間に、
自分が変わり行くことを感じることは
人にとって生きる上でしみじみとした
喜びとなっているのではないか。

シンプルに背中を押され
単純を引きずりながら
今日も変化を求め走る。

1月4日、函館時間で7時04分24秒。
1年で最も遅い日の出を迎えた。
これからは少しずつ少しずつ
日の出が早くなっていく。
そして6月30日4時01分38秒に向かって
変化を積み重ねていく。

シンプルであろうと単純であろうと
毎日太陽が昇るようにランニングを行えば、
必ず変化することを朝の光は
教えてくれる。

昨日と今日、今日と明日に
ほとんど変化を感じなくても
朝の光は確実に前へと
進んでいることを教えてくれる。

それでも迷いが生じた時は、
ロッキーバルボアみたいに
旧函館区公会堂へと続く
基坂(もとざか)を駆け上がり、
Simple is ..._e0113768_15374851.jpg
朝陽を全身に受けて
拳を天に突き上げよう!
それだけで、きっと
ヒーロ―になった気分になれる!
(こういうのを単純という)

# by naisen-k | 2024-01-12 17:30 | 函館マラソン | Comments(7)

皮と餡のシーソーゲーム(餃子づくりに学ぶ)

箱根駅伝も終わった午後の昼下がり。
暇そうにごろごろしていると
私以外の家族が目くばせをしている。

ほどなくして末っ子から
「お父さん今日は餃子が食べたいよ」
と棒読みのセリフが発せられた。

我が家には晩御飯のメニューによって
担当があって餃子は私の担当である。

陰で妻が
「もっと自然に!」と声を殺し
末っ子に肘うちをしている。

私が長女にはめっぽう弱いことを
知っている妻は、
長女に間髪おかずその話題を振る。
「あなたは何が食べたい?」
鈍感な長女は
「なんでもいい。」というが
私の見えない位置から妻が
『ギョ・ウ・ザ』と口パクで
伝えている気配がする。
長女は、目を泳がせながら
「あっ、餃子かな・・」
と答える。

かくなる包囲網が築かれ
(餃子だけに)
私は今、キッチンに立って
白菜を切っている。

野菜室には、ちゃんと白菜があったし、
ニラが白菜の肩に
『私たちはずっと一緒』とでも
言いたげにもたれかかっていた。

まさかと思って、
すぐにチルド室を開けると
見紛うことなき豚ミンチが
『餃子以外、何になる気もありゃしませんで』
とチルド室のセンターに鎮座していた。

確信犯である。

餃子は、白菜の水分が多すぎると
皮で包むとき、ベタベタになる為
塩を振って水分を抜く。

しかし抜きすぎると、餡のジューシーさが
なくなってしまうのでこの塩梅が難しい。

餃子のだいご味は、やっぱり
まず食べた時に溢れ出る
肉汁と野菜汁のハーモニーだ。

白菜を手加減しながら絞り
ニラ、ネギ、ミンチ、調味料を
混ぜ合わせ餡を完成させる。

ニンニクとショウガもすりおろして入れるが
私はショウガ多めが好きである。

私にとっては、ここまでの行程で
料理としては結構、手が込んでいるが、
餃子の場合はここから包む作業が待っている。

我が家では100個包む。
これだけの数になると
餡の量と餃子の皮の枚数が
ピッタリと合うことはまずない。

皮があまった場合は、
チーズ入れたり、キムチ入れたりして
変わり種餃子を作る。

餡があまった場合は、
皮を買いに走りにいったり、
小麦粉で皮を作ったりする。
(皮から作った方がうまいが
 100個は面倒なので)

すると今度は、また皮が余ったりする。
餃子なんて言わば
餡と皮のシーソーゲームである。

それが、前回餃子を作った時は
100個包んだ時に、ぴったり餡がなくなった。
これは最高の喜びである。
もうその時は、一生分の運を
使い果たしたんじゃないかと思った。
(運の量少なすぎ)

だから、今回は何かその反動があるはずだ。
と最初から警戒をしていた。
そして、その恐れは現実のものとなった。

まず皮と餡は、当然のようにあわず
皮が何枚かあまった。
しかしこれは想定内である。
パーフェクトゲームが
そう何回も続くはずがない。

あまった皮は、正月料理に使って
残っていた生ハムを入れて
焼くという荒業で乗り切った。

生で生まれてきた使命を
まっとうさせることができず
すまない思いでいっぱいだ・・・

それでも何とか役者がそろって
ホットプレートの上に綺麗に餃子を並べたが、
すぐに火を入れることができなかった。
皮と餡のシーソーゲーム(餃子づくりに学ぶ)_e0113768_15395878.jpg
ホットプレートに乗りきらないのは冷凍餃子に

うちでは大きなホットプレートで一度に焼くので
家族が全員揃うまで火を入れられない。

初売りから帰ってくるといった時間に
帰ってこなかったり、
年始の挨拶に行った人がいたりで
家族全員がそろったのは
包み終えてから1時間が経過したときだった。
この1時間は餃子にとって致命的となった。

中から染み出した餃子の汁が
(おもに野菜汁だと思われる)
皮を溶かし隣りの餃子の皮と
くっついてしまう。さらには
ホットプレートの鉄板とくっついてしまう。

包んでから、すぐにやけば
餃子の皮に振ってある打ち粉が
周りの餃子や鉄板とくっつくのを防ぎ
かつ、差し水を入れたときに
打ち粉が溶け出し
羽となって餃子に彩を加える。

しかし、寝かせすぎた餃子に
火を入れてすぐに異変に気が付いた。
焼き目がついているか確かめようと
フライ返しで持ち上げようとすると、
明らかに、皮同士がくっつき、
餃子が鎖のように繋がっている。

それでも強引に持ち上げ
ひっくり返そうとしたその時、
つながった餃子の重みに耐えきれず
餡は皮に織り込んだひだをほどき、
自ら外へ飛び出した。

それはあちこちで起こった。
皮というパートナーのいない餡が
あちこちに転がっている。
餡を失った皮は所在なげに
フライ返しの上で揺れていた。

時間をかけて作ったものが
こんなことになると、とても悔しいが
そんな中にも学びはある。

それは、どんなことも後手に回ると、
個性を失い同化してしまうということ。
タイミングを逃さず機運が高まっている時に
対処したり、働きかけることで
その人(もの)が持つ特性を最大限に
生かすことができる。

そして、散々だった今夜の餃子の宴を
象徴するように、洗い物は荒いものとなった。
こびりついたコゲがなかなか取れない。
これは1日水につけておくしかない。

折れた心やすさんだ気持ちは
逆に早急な働きかけは逆効果だ。
軟化するの辛抱強く待つこと。
焦っても仕方がない。
きっと時間が解決してくれる。   


石川能登半島地震に被災された方に、
一日でも早く日常が戻りますように。
また私も災害に対する備えを
今一度見直したいと思います。

       

# by naisen-k | 2024-01-05 16:30 | 食事 | Comments(2)

2024函館マラソンに向けて情報を発信していきます。


by naisen-k

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